見て見ぬふりが無難? 「半沢直樹」の教育的効果

今年の七夕の日からTBS系列で放送されたドラマ日曜劇場『半沢直樹』が、テレビ低迷の時代にあって、久々に好調な視聴率で全10回を終えた。最終回、敵役の大和田常務が土下座して主人公の半沢に自らの非を認め、大和田の平取締役への降格と半沢の他会社への出向が中野渡頭取から命じられる場面は、関東地区で50%を超える視聴率を記録し話題となった。(SANKEI EXPRESS

 テレビ界では数字(視聴率)が神様だ。ふだん私たちが利用する窓口からは分からない銀行の暗い部分の描写が視聴者に意外と受けたようだが、そのとばっちりとでもいうのか、引き合いに出されて報道されたのが、みずほ銀行による暴力団融資問題だ。

 お堅いはずの銀行で、暴力団員への融資の対応が超甘だったのだから、頭取以下の幹部が記者会見で頭を下げるパフォーマンスをしても白々しく受けとられる。みずほの佐藤康博頭取が28日の会見で、「株主、取引先、関係各社に関して大変な迷惑をかけ…おわび申し上げます」と述べた謝罪も、『半沢直樹』で銀行の暗部を知った視聴者には空々しく聞こえたことだろう。

 銀行は窓口へ預金をしに行くと笑顔で迎えられるが、ローンの申し込みでは、不愉快な思いをした人は多いのではないだろうか。その預金者も借り手も、謝罪会見では、「取引先」としてひとくくりにされてしまい、誠意ある謝罪はがなかった。当該幹部たちの報酬返上などは当然なことだし、「そんなことではすませない」と、男性たちの居酒屋談義や女性たちの喫茶店でのガールズトークでも話題になる。

さて、ドラマ『半沢直樹』は開始直後からクチコミで話題となり、終了後もテレビのワイドショーや新聞各紙が大きく取り上げ、NHKまでもが看板番組「クローズアップ現代」で、土下座の社会的変化を特集した。

 だが、それら新聞やテレビは、ストーリー展開の面白さや役者の巧みな演技を称賛し、続編への期待のほか、中国や台湾でも「倍返し」と土下座が話題となっていることなどを紹介するだけだった。

 

 ネットにも批評があふれ、最後の降格人事の言い渡しについて原作とドラマでの違いなどが論じられている。単純化されたテレビよりも、やはり池井戸潤氏の原作小説の方が、人間関係や銀行内部のことがきめ細かく描かれていて引き込まれるとか、テレビの担当ディレクターが慶応義塾の創立者、福沢諭吉の家系であるといったことなど、にぎやかである。

 

 TBSの報道番組は、その道の人たちからはそこそこ評価されてきたが、ここ10年ばかりは、視聴率的には苦戦をしてきた。半沢のヒットで会社全体が一息ついていることだろうが、当欄では、メディア批評として言っておかねばならないことがある。

 

 小説など自分の意志で金を出して買ってきて楽しむものなら、その内容も許容範囲は広い。しかし、テレビはスイッチを入れれば誰でも見られる。しかも公共の電波を使った社会的公益事業であり、その提供情報は、放送法とそれが定めた放送基準よって縛られる。

放送法には「放送を公共の福祉に適合するように規律し…」と記載されている。民放連がそれに従って定めた「放送基準」には「民間放送は、公共の福祉、文化の向上、産業と経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与する…」とし、その上で「健全な娯楽、教育・教養の進展、児童および青少年に与える影響を重視する」とある。

 今回の半沢では、不正融資を教唆もしくは黙認した者たちがそこそこの立場で会社員を続ける一方で、不正を暴いた半沢が出向を命じられる。その理由は「やり過ぎで組織の原理を乱した」というもの。

 

 数字が示す通り、そのシーンのインパクトは強烈だったが、大学のゼミ生との議論では「悪いことをしていても会社では見て見ぬふりをするのが無難だ」という意見がかなりあった。社会的不条理と戦った半沢の思いとは裏腹に、視聴者の多くは社会的不条理には目をつぶった方がいいと感じたようだ。

 

 思い出すとこうした筋立てのドラマは多い。だが、その繰り返しが、日本に社会にあきらめを生んではいないだろうか。テレビ関係者も、ドラマの教育的効果について改めて考えてみてほしい。(同志社大学社会学部教授)

msn産経ニュースより引用しました。