お遍路さん:白装束は戦後に定着 バス巡礼で主流に

学者グループ「四国遍路と世界の巡礼研究会」の名誉代表、内田九州男・愛媛大名誉教授(67)=日本近世史=が、お遍路さんの白装束はいつ定着したのか調べたところ、1958(昭和33)年ごろとみられることが分かった。東京タワーが完成した年で戦後の復興が進み、国内旅行も盛んになり始めていた。内田さんは「お遍路の団体バスが普及する中、聖なる世界へ行くというイメージの白装束がユニホーム化したのでは」と分析している。

 内田さんが各種史料・文献を調べたところ、江戸時代に決まった服装はなく、明治時代に奉納された絵馬や大正時代の記念写真を見ても着衣は柄もので、白衣姿はなし。42(昭和17)年の刊行物「遍路図会」に「菅笠(すげがさ)に、白衣に、白脚絆(きゃはん)……型のきまった遍路姿」と、白装束をうかがわせる記述がある一方、同じ本に「戦闘帽と国民服、背にはリュックサック」との紹介もあった。

 戦後もしばらくはハイキング姿などで定型はなく、四国遍路バスを53(昭和28)年に全国で初めて走らせた伊予鉄道(本社・松山市)に残る毎年の記念写真も柄ものが主流だった。ところが、58年の写真では大多数が白装束姿で、同社の巡礼バスを担当する渡部晴雄・トラベル巡拝部長(62)は「この頃からお遍路の正装と考えていただいていたようです」と説明する。

 内田さんは「昭和30年代の自動車普及で大衆化した遍路旅に対し、聖なる世界へ行く集団というイメージを与えるために生み出された『白装束スタイル』が定着したのだろう」と解説。これらの調査内容は、同研究会が年内にも発刊する論集で発表するという。【松倉展人】

毎日.jpより引用しました。