優しく心のまど開く まど・みちおさん死去

<評伝> 二十八日に百四歳で亡くなった童謡詩人まど・みちおさんは誰もが口ずさむ歌を優しく柔らかな感性で作り続け、生きとし生けるものの命の大切さを訴えてきた。作詞活動の契機となったのは一九三四年、児童雑誌「コドモノクニ」に投稿した詩が北原白秋選で特選に入ったことだった。台湾で土木技師をしながら励んだ詩作が実を結んだ。

 「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」「ふしぎなポケット」など数多くの名作を世に送った。その頂点に立つのが五二年に発表した「ぞうさん」。象が自身の存在に喜びを感じ、慕う母親を誇りに思う気持ちが、短い歌詞から伝わってくる。「自分は自分でいいのだ。自信を持って生きていこう」。まどさんの“心の窓”が送る高らかなメッセージだった。

 当初は幼児教育家が四分の二拍子で保育唱歌風の活発な曲を付けた。しかし、童謡作家の佐藤義美さんが「これでは詩が死んでしまう」と團伊玖磨(だん・いくま)さんに作曲を持ち掛け、象のゆったりした歩みを巧みに表現した三拍子の曲に変身。NHKラジオで発表されると、またたくまに全国に広まった。

 二〇〇三年、演劇集団円による「まどさんのまど・まだ」という子供向け舞台が上演された。独りぼっちだと心を閉ざしていた少女が、散歩中に出会った「まどさん」の胸にある“窓”を通じて成長し、心を開いていく物語。まどさん作詞の童謡と詩を織り込み、まどさんの穏やかな人柄も浮き彫りにした楽しい舞台だった。岸田今日子さんが企画し、阪田寛夫さんが原案をつくった。二人ともすでにこの世にはない。

 自作を基にした舞台に「もったいないような、気恥ずかしい気がします。私はそんな立派な人間じゃないんですから」と柔和な表情で謙虚に語っていた姿が印象深い。

 第二次大戦中は南方戦線に従軍。詩や短歌を作ったが、一部を自らの手で焼却させられる苦い経験もしているだけに、平和への思いも格別強かった。「戦争反対を叫んでいるのは戦争自身なんです。その叫びを、人々が聞く耳を持たないのが情けない。あきらめちゃいけません」。振り絞るような口調だった。 (安田信博)

 

東京新聞より引用しました。