淡路恵子さん死去 80歳
喜劇からシリアスな作品まで幅広く活躍した俳優の淡路恵子(あわじけいこ)(本名井田綾子(いだあやこ))さんが十一日、食道がんのため死去した。八十歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りは未定。喪主は長男晃一郎(こういちろう)氏。
成瀬巳喜男監督「女が階段を上る時」や増村保造監督「兵隊やくざ」など名匠の作品にも出演。森繁久弥さんが主演した「社長」「駅前」の両シリーズなど喜劇映画では、艶っぽい演技で色と欲を表現。映画化もされたテレビドラマ「若い季節」「男嫌い」でも人気を得た。
九八年、舞台「もず」で菊田一夫演劇賞。晩年は映画「ぷりてぃ・ウーマン」に主演したほか、バラエティー番組にも出演し、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で親しまれた。
◆凜と生きた波乱の人生
<評伝> 医師になってほしいとの母親の期待を一身に受けて進学した府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高校)時代、友人に誘われて見た華やかなレビューが、淡路恵子さんの人生を決定づけた。歌と踊りの華やかな光り輝く世界に触れ、「どうしてもあの舞台に立ちたい」との思いが抑えきれず、卒業を数カ月後に控えながら中退。一九四八年、松竹歌劇団(SKD)の養成学校の門をたたいた。
SKDの研究生時代に出演した映画「野良犬」で、黒沢明監督から事件の鍵を握るレビューの踊り子役に抜てきされ、鮮烈な印象を残す。松竹の大看板、淡島千景さんから一字をもらい、黒沢監督が「恵まれた子になるように」と願ってつけた芸名だった。
SKDでは一期下の草笛光子さんらと娘役の看板スターとして活躍。退団後、五四年にはマーク・ロブソン監督に見いだされ、米パラマウント映画「トコリの橋」でミッキー・ルーニーと共演。その後も、数多くの映画、ドラマに出演。物憂げで、ハスキーな声が特徴的な実力派女優として輝きを放った。
しかし、黒沢監督の願いとは裏腹に、私生活は波乱万丈だった。夫・萬屋錦之介さんが経営した映画・舞台制作会社が倒産し、家は差し押さえに。錦之介さんの闘病生活を献身的に支えた末に離婚。二人の息子の不慮の死にも見舞われた。
淡路さんは自伝で、ひとりぼっちの寂しさを告白。それでも生かされているのは、まだ、しなければならないことがあるからだと思って「凜(りん)として生きていく」決意を明かし、晩年はバラエティー番組にも積極的に出演。無類のゲーム好きとして、子供や若者たちにも親しまれた。